I Have A Dream

  10歳でバレーボールと出逢い、19歳の時に二度の病院送りになるまで、
  バカみたいに追いかけている夢があった.
  県大会にすら出場できない高校のチームに所属していた私は、世間知らずが幸いして、
  その夢を実現することだけを胸に、日本一を目指して日々練習をしている大学に入学.

  154cmの私がリベロもなかった時代に、
  バレーボールの代表選手としてオリンピックに出場するという夢.

  夢が手に届く位置に立てた、という喜びは束の間、ものの半年で厳しい現実に直面した.
  努力をすれば夢は叶う、なんていうのは、夢物語、ということを目の当たりにした.
  生まれ持った才能があり、血の滲むような努力をする人だけが手にすることができる、
  という、当たり前の事実を、夢の舞台を眺めることしかできない所で思い知った.
  そして、自分にとっての夢は、彼ら、彼女らにとっては、目標でしかない.
  才能がない人間が努力をすることは無駄だ、なんて、これっぽっちも思わないけれど、
  夢が夢で終わってしまった私は、バレーに関わり続ける限り、
  この劣等感を背負い続けることを覚悟しなければならない.
  努力しても叶わないものもある、ということを受け入れることで、
  その劣等感を少しでも減らそうと、自分を慰めながら.
  身の丈に合わない、お門違いの夢を掲げていた、なんて、百も承知で.

  懲りずに掲げた次の夢が、オリンピック選手を育てること、だった.
  そんな潜在的な想いが、私をEthiopiaに導き、
  「10年後にオリンピック出場」
  という合言葉になり、Abebeと自分が本気になれる舞台となった.

  この夢も、実現には漕ぎ着けていないけれど、未練も悔しさもない.
  できる限りの事はした、という実感があるから.


  夢を実現する為の一つの方法として、公言する、ということをEthiopiaで体感した.
  それまでは、自分の夢なんて恥ずかしくて人に伝えられなくて、心密かに想うものだった.
  でも、人に伝え、声に出すことで、色々な情報が集まり、賛同者が現れ、
  笑っていた者も真剣になり、思い掛けない力が集まってくる.
  そして、変なところで律儀な私は、人の想いも勝手に背負っていると勘違いし、
  一層、真剣に為らざるを得なくなる.

  そんな私が掲げる今の夢.
  Africaの一国で女子教育兼バレーボールの英才教育をする施設の運営.
  合言葉は、『バレーボールで国を興す』
  自己満足の自己完結をしたいので、必要最低限の親孝行を全うしたら行動におこしたい.
  それまでに資金を集め、健康体を保ち、有能なコーチを捕まえておく.
  老後にやりたい、自分の持てるものを全て好きなものにつぎ込む、という、究極の贅沢.