Ethiopian National Jr. Team

  Ethiopia全土から選抜された12名.
  バレーボールはもちろん、まともにスポーツをしたことがないような面子.
  自分がEthiopiaに滞在している間にチームが形になるか不安ではあったけれど、
  遠く親元を離れてきた彼女達を預かっている、という責任がある手前、
  自分の任期だなんて、ちっぽけなことを気にしている余裕はなかった.
  与えられた時間でできる限りのことを伝える気持ちで、自分の夢を相手に託した.

  真剣勝負な日々.
  コート上のみならず、日常生活においても気を抜けない.
  素行が悪かったり、学業の成績が振るわなければ、即刻、親元に返した.

  私の本気を徐々に選手は受け止め、
  乾いたスポンジたちは面白いみたいにぐんぐんと吸収していった.
  私自身も、どんどんとコーチ業にのめり込んでいった.
  自然とアイディアが湧き出て、試行錯誤を繰り返す毎日.
  堅物だったハズの私が、躊躇なしにそれまで培ってきたバレーボールの定式を横に置き、
  その時に考えうる最良の練習がその定式に書き添えられていった.

  後にも先にも、あそこまで厳しい指導をしたことはない.
  厳しさには愛情が伴わなければ伝わるものは何もない.
  心を遣うには、五感を研ぎ澄ませ、相手を受け入れる必要がある.
  心と頭と身体を酷使し続けた時間.
  十代の選手に負けじと、自分のもつ力を全て使い切る勢いで日々を過ごした.
  こういった疲れは疲労感、という負のものではなく、
  心地が良く、清々しい、次に繋がるエネルギーになるもの.

  私が関わったのは、立ち上げのほんの一年間だけだったけれど、
  この時間はその後の私のバレーボールとの関わり方を大きく変えた.
  そして、今、それが一つのチームとして形になりつつある.


  Ethiopiaから帰任し、2年程経ったある日、
  後任の北原コーチが超多忙の中、突然、駆けつけてくれた.
  「どうしてもこれを直接渡したくて」
  身一つで訪れてきた彼が別れ際にジーパンから無造作に取り出し首に掛けてくれた.
  ポツリと発する一言に、色々なものが詰まった重いメダルだった.
  色は違ったけれど、私には、金ぴかに輝いて見えた.

  彼女たちは今、何をしているんだろう.
  バレーを続けていなくてもいい.
  あの厳しさを乗り越えた自信が、人に対する優しさとなるような女性に育っていて欲しい.