不定期報-Zambia- #6

  これまでアフリカではスポーツに従事していたので、援助、を感じることは皆無でした.
  ザンビアに来て、HIV/AIDSという、今の援助の旬の分野に身を置くことになり、
  異常なまでの援助漬けの世界を目の当たりにし、
  正直なところ、理想と現実のギャップに違和感が拭えません.

  悲しい事に援助という甘い蜜に溺れてしまっている人々がいることは確かです.
  そんな天からの贈り物のような一瞬の“恵み”を頼りにするのではなく、
  援助機関からのカネやモノを賢く使えるようになって貰いたいものです.
  援助する側は援助した、という実績だけを追うのではなく、
  最後まで援助物資、金の行く末を見届ける責任があると思います.
  折角動いた貴重な援助.
  もっと有効活用していけばいいのに、と、他者目線だからこそ感じます.

  そんな中で、自分自身の役割を考えていたら行きついた思いがあります.
  教える立場に立った今、生きる力を子供たちに伝えていける大人でありたい.
  外部からの要因を自分自身の頭を使って考え、選択し、実行に移す力.
  子供たちはこの国の将来を背負っています.
  その子供たちは取り巻く環境から色々なことを学びながら成長します.
  その中で、教育の果たす役割は非常に大きいものです.
  自分自身が勉強を怠ってきた故に、今、その重要性が身にしみます.

  勉強というのは興味を持ってやってこそ活きてくるもの.
  自分の子供時代に、どうしてあんなに勉強が嫌いだったのか.
  学校で習うことがその時の自分の生活と直結せず、
  現実味の無い知識の塊としか感じることができなかった気がします.
  自分という小さい殻の中でしか生きていなかったので、想像力が乏しかったのも原因です.
  でも、今更ながらに痛感します.
  学校で習った知識、様々な人との出逢いは人生の肥やしとなっています.
  無理にでも詰め込んでおいた方がいいものもある、と、この歳になって感じます.
  知識があるから疑問が増え、それが大人になってからの勉強に繋がるのも事実です.
  ちょっと気に食わない人が居ても、クラスという単位で団結することも
  なんとなく学校で覚えたこと.
  だから、意味が分からないまま、学校に通うことは大切だと今更ながらに思います.
  でも、スクールライフを人生により効果的に結び付けるためにも
  今持つ子供の想像力と現実を結びつける方法で教えているつもりです.
  教育というのは時間はかかるけれど 計り知れない力を持つものだと信じて.

  日本では事態はもっと深刻な気もします.
  今の日本の教育界は暗闇に迷い込んでしまいました.
  詰め込み教育から一変したゆとりの教育はどこに向かっているのでしょう?
  ゆとりって、時間?それとも心?とここに来て思う今日この頃です.
  私が日本で教鞭に立つ日が来るのかどうかは分かりませんが、
  今はこの国の未来を描いていける子供たちの育成に
  自分に与えられた、限られた時間を全て注力する、という志を携え、
  試行錯誤を重ねながら、残された時間を丁寧に刻んで過ごそうと思います.