違和感

  金曜の仕事帰りに体育館へ.
  念入りにストレッチをして、ボールを使ってアップをする.
  ここまでは、いつも通り.
  ボールを投げあげ、包み込み、リリースした瞬間.
  「あぁ. この感覚. 懐かしい...」
  克て、当たり前のようにあった感触が蘇った.
  軸がぶれず、微妙な違いをコントロールできる.

  翌日.
  今日は、独りでも練習をしよう、と、誰にも声を掛けずに体育館に向かう.
  昨日の感覚がホンモノかを早く確かめたい、ワクワクする気持ち半分、
  昨日は若しかしたら、調子が良かっただけかも、と、不安な気持ちも半分.

  ドキドキしながら、ボールさばきをする.
  「ある.」
  昨日のあの感覚は、今日も確実にここにある.


  一週間前から、身体メンテをしよう、と、トレーニング場通いを始めた.
  不甲斐ない自分に活を入れる前に、自分ときちんと向き合おう、と思った.
  身体に話し掛けるよう、見逃しが無いよう、
  負荷は掛けず、バレーの動きをイメージしながら、一つ一つを丁寧に感じていく.
  傍から見たら瞑想しているみたいなトレーニング.

  大学では体力学研究室に身を置き、それなりに専門知識も蓄えた.
  フィジカルトレーニングは、スポーツパーソンにとって必須事項.
  それでも、時間の取れない社会人には、それ相応の効果を出せる道もある、と、
  模索しながら打ち出した究極のトレーニング理論は、
  「練習で必要な筋力を賄う」だった.
  自分が意識をしていることだからなのか、教えるときにも、
  「身体のどこに力を入れろ」とか、「ここを意識しろ」という表現が多い.
  同じ動きをしても、そこの筋肉に意識をするとしないとでは大違い.
  「ぶんちゃんに出会って、頭で理解して練習するバレーが楽しい」
  そんな風にチームメートに言われると感無量.

  そんな、過去の成功体験を信じ、自己流セオリーを貫いてきたこの半年だったけれど、
  今回ばかりはその持論は全くもって実を結んでくれない.
  リカバリーされない身体が欲したのが、フィジカルトレーニング.
  やり過ぎて身体バランスを失った苦い経験もあり、自分の中では禁忌事項の一つだけれど、
  「勇気を出して基本に立ち返ろうよ」と、身体が私に囁いてきた.
  タイミングよく、平日にトレーニングができる時間が取れたので、早速、実行.


  結果、何とも表現しがたい感覚.
  ブランクがあったり、歳を重ねて動けなくなったときには、
  動けるイメージが頭の中に残り、イメージとちぐはぐな動きの自分に落ち込む.
  2年半、バレーから遠ざかっていた私には、動けた頃のイメージすら沸いてこなくて、
  "動けない" "できない" "声も出ない" 三拍子が揃いも揃って、それが常習化していた.
  頭には、その動けない自分がプログラムに組まれているのに、
  身体がそれ以上のパフォーマンスを生み出すから産まれるこの違和感.
  こんな感覚はこれまで感じたことはなかった.

  「最近、ぶんちゃんの気持ちが伝わってこない」と、言われたばかりだったけれど、
  その、ドキッとした言葉が一気に払拭された.

  今はまだ、自分の理想の球質を求めてひたすらボールに触るだけだけれど、
  バレーは独りではできないスポーツ.
  早く、一人一人にカスタマイズしたボールを操れるようになりたい、と気がせく.

  いつ振りだろう.
  月曜の朝から、次のバレー日のことを考えてしまうのは.
  金曜日まで、長いなぁ、と、今日も仕事に向かう.