感謝いっぱいの6年間

  営業、企画、総務、経理、人事職.
  言い換えれば、兼務万歳の小規模企業の何でも屋.
  ミスがあれば全て自分の責任.
  会社が良く思われるも、悪く思われるも、私のフォロー次第.
  常に緊張しながら、慎重に、一つ一つの作業に臨んでいたこの6年間.

  語学面から人を育成するという特殊な業界で、
  幼児からシニア、一般の人から行政・企業・学校と幅広い取引先と関わってきた.
  色々な人から知恵を頂き、助言を受け、フォローをしてもらいつつ、
  紹介でつないできた営業職.
  私がお返しできるのは、誠心誠意、真剣に丁寧に仕事をするという姿勢だけ.
  それだけを自分のウリとしてやってきた.

  この6年間を振り返り、人との出逢いに感謝が絶えない.
  心から尊敬できる、自分と同じ名前の教務の存在.
  生徒から同僚というポジションへの変化へ、最初は戸惑いもあったけれど、
  彼女の熱意に負けまい、という想いだけでやってきた.
  不器用なほどに手を抜かず、常に真剣に授業や研修に挑む姿は時に痛々しい.
  「緊張しすぎて昨日も眠れなかった」と言いながら、
  100人を目の前に、「絶対に一人も眠らせない、そして一人一回は発言してもらう!」
  と臨む、その人に関われる自分が誇りだった.

  そんな彼女の存在がいつしか講師の基準となってしまい、要求も自ずと高くなった.
  時に厳しいコメントをしたり、ついつい感情的になってしまう事も多かったけれど、
  暖かく受け入れてもらいながら、最高の講師にたくさん出逢うことができた.

  ここでの出逢いから、最高の友ができた.
  ここでの出逢いが、趣味を増やしてくれ、そこから仲間ができた.
  ここでの出逢いがあって、コーディネーターが、自分の天職だと感じることができた.


  入ってから1年目に宣言した約束.
  教務か社長が辞すれば、私もここを去る.
  そこには色々な想いもあるし、他者からは想いがない、と言われかねない.
  けれど、自分に嘘はつけないので、その転機で心を決めた.
  胸を張って、次の路へと進む決意ができた.

  オリンピックにかかわる路は、パンデミックで潰えてしまったけれど、
  ありがたいことに、次への仕事までの絶妙な期間に、
  ここでの出会いが大手人材会社でのコーディネーター職の経験にも繋がった.
  与えられた場で、次への未来も拓けたのかもしれないけれど、
  相も変わらず、無謀なチャレンジに手を出す44歳.

  次なるステップは未知の業界.
  教育・人を扱う、ということは同じだけれど、国も、対象もこれまでとは全く違う.
  このタイミングで突っ込んでいく自分に、我ながら感心しつつも、
  常に信条だけは変えずに、やっていきたい.
  これまでの出逢いへの感謝と、これからの出逢いを楽しみに.